「推し」がいると、なぜ元気になるのか?

髙瀬未菜氏の紹介記事です。

事例と専門家の声から探る、推し活と社会のいい関係 サストモ by LINEヤフー https://sdgs.yahoo.co.jp/originals/327.html #サストモ

私自身は、「押し活」の自己同一化をファンタジー物語のキャラクターへの感情移入に重ね合わせました。

彼、彼女らは、悩み、時として間違い、傷つきながらも成長していきます。読者と作者はその成長を「人間」としてハラハラドキドキ楽しむわけです。

私個人的解釈として「自己」は、意識の考察の上で重要です。それは、「意識とは、自己、非自己の境界を形成し自己の系を保存しようとする要因」と考えているからです。https://studio-hirop.com/discussion.html

そのため、押し活や物語のキャラクターへの感情移入による、(非自己に対する)「自己同一化」に人間の可能性を感じています。

百人が同じ物語を読むと、百通りの解釈(物語)が生まれます。

百人が一人のアイドルを推すと百人のアイドルが生まれ、推し活の情報交換によって動力学的相互作用が発生します。

それは、決定論的な現在のAIには難しい人間らしさだと考えるわけです。

情報発信と受信の不確定性こそが、生命(エントロビー増大に無謀にも抗う)進化の源泉であり、これからの未曾有の大変革時代、その重要性はさらに増すのかも知れません。情報のカンブリア爆発の幕開けです。

ところで、百通りの解釈の中に拡張した同一性という幻想(噂や神話といった虚構)を「言葉」という魔物を通じて信じる習性がホモサピエンス族の遺伝子に刷り込まれており、それが、ネアンデルタール人等の多種族を駆逐し、サピエンス族を万物の霊長たらしめたと考えています。

「春」
――それは、儚く過ぎ去る美しい時の流れ。人は皆、その一瞬の輝きを受け継ぎながら生きてゆく。

チャラ=リョウ博士
カトマール王立図書館 上級書士・古代史研究者
「歴史とは、勝者の記録ではなく、生きた者たちの記憶である」

このブログは、『春を紡ぐ者の叙事詩』の仮想編纂者・チャラ=リョウ博士の研究資料を、助手・比名たかしが現代日本語で編集・公開しているという設定で運営しています。


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